意味論的社会学的ソキウス・ディレクティオーネ

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Emojiによるグローバル化

※本記事は@oz4point5が授業用に執筆したレポートの修正版です(評価が終了したようなので記事として公開します)

※CC-BY-SA 3.0とします

※pdf版は以下からダウンロードできます

Emojiによるグローバル化(匿名ver).pdf - Google ドライブ

1. はじめに

 「Tofu on Fire」を知っているだろうか、これのことだ(図1)。これは、幼稚園などでよく使われるチューリップ型の名札からデザインされた絵文字なのだが、外国人ユーザにとっては長らく「それが何を表すのか分からない」絵文字であった。そして、この絵文字の元となった名札を日本で見つけ写真をSNSにアップロードした外国人ユーザの投稿に対し、この形を揶揄して付けられたコメントが「Tofu on Fire(火の中にある豆腐)」なのだ(ジェイ・キャスト 2017)。

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図1. Tofu On Fire

 このエピソードからも分かるように絵文字は日本の影響を強く受けながらも今や世界中で使用されつつある。2015年9月から2017年9月の2年間に世界で使われた絵文字は60億字をも超えるらしい(Emojipedia 2018)。本文では、絵文字のシステムが内包しているアーキテクチャ性に触れつつ、その公平性と危険性を読み解きたい。

2. アーキテクチャとしての文字コード

 絵文字文化はそれ自体が興味深い歴史を持つが、それは省略して今の絵文字について考えよう。今日、TwitterやLINEを始めとして主にスマートフォンから入力される絵文字は、Unicodeという文字コードが2010年からサポートし始めたものを指す(Unicode Consortium 2010)。これを特に海外での呼称からEmojiと呼ぶことにしよう。

 EmojiはUnicodeに含まれており、Unicodeとは文字コード、つまり文字に関する業界規格であるであるから、これをサポートしている企業(以下、ベンダと呼ぶ)が制作している製品では問題なく使用することが出来る。また、日本語を含めたアラビア語、中国語、韓国語などのマルチバイト文字と呼ばれる言語をコンピュータで表現するには実質的にUnicode業界標準として使用されてきた経緯も相まって、Emojiは現在販売されているほぼ全ての電子機器(特にスマートフォン)で扱うことが可能だ。

 そのお陰もあってか、EmojiがUnicodeに入ってからまだ数年しか経っていないにも関わらず、世界中の人々はEmojiを多く使用しているし、技術系の人々はともかく、一般にスマートフォンを使用しSNSに投稿を行う人たちにとってEmojiはもはや特別な技術でもなんでもなく、最初からそこにある当たり前のものへと変貌を遂げている。

それは考えてみれば当然のことで、文字コードとはアーキテクチャであるからに他ならない。アーキテクチャとは、環境管理型権力とも呼ばれ、

  1. 任意の行為の可能性を「物理的」に封じてしまうため、ルールや価値観を被規制者の側に内面化させるプロセスを必要としない。

  2. その規制(者)の存在を気づかせることなく、被規制者が「無意識」のうちに規制を働きかけることが可能。

の2つの特徴を持つシステムのことだ(濱野 2008 : 20)。文字コードは、設定された文字以外を表示させることを物理的に不可能にするし、私たちは普段はそのことに全く気づかない。濱野は様々なウェブサービスを指して、そのアーキテクチャ性を指摘していたが、その根底に最も大きなアーキテクチャとして実は文字コードが存在していたのだ。

 EmojiはUnicodeであるから、これもアーキテクチャ性を持つ。Emojiは我々がテキストデータとして表現できる幅を大きく広げるが、それは同時に大きく制限されていて破ることは出来ない。そして、Emojiはたびたび改訂されるが、私たちはそれをどこの誰がいつ行うかについてほとんど知識を持たないし、すぐに慣れてしまう。

3. Emojiの持つ公平性

 Emojiは公平でグローバルである。そもそものUnicodeが世界に存在する全ての文字を表示できる文字コードを目指していたこともあり、一度登録されたEmojiはすぐさま全世界で使用される。それに何と言っても一つ一つが絵なのだ。私たちは「サボテン」が英語で言うと何なのかアラビア語では何というのかを辞書で引かずとも、ただサボテンの絵文字(図2)を使えばいい、簡単な意思疎通程度ならEmojiだけで可能かもしれない。

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図2. iOS10における「cactus」

 これは、インターネットを更にグローバル・ヴィレッジへと変容させる素晴らしい進歩とも言える。絵というのは究極に世界共通的だし、それを理解するのに何らかの勉強が必要ということはない。まさに誰でも参加することが可能だ。

 また、気づきにくい副作用もある。技術的な問題により英語だけを表示することを目的とした文字コードUnicodeの互換性は極めて低く、多くのエンジニアは前者のソフトウェアを後者のために作り直すことを嫌ってきた。しかしながら、Emojiが人気になったことにより「Emojiを表示できないシステムは古い」という認識が共有され、結果として多くのシステムはUnicodeをサポートするようになってきている(植山 2017)。Unicodeがサポートされるという事は、結果として日本語やアラビア語などのマルチバイト文字が記述可能になるということで、どのような言語の話者でも自然に電子機器を使用できるようになるという事だ。これこそ、Emojiがもたらした究極のグローバリズムだろう。

4. Emojiの持つ危険性

 だが、Emojiは危険性もはらんでいる。まず、グローバル化するということは、ローカルの文化が失われるという問題と不可分である。もうすでにEmojiはある文化を排斥しつつある、それは顔文字とアスキーアートだ。それらは可読性の問題と情報伝達に必要な容量の問題からEmojiに効率性で大きく劣るため、廃れるのは必然かもしれないが、そこには絵文字にはない文化差が存在した。

 これも同じく文字コードによる問題ではあるのだが、日本では笑顔を意味する顔文字は「(^_^)」で海外では「:-)」であった。アスキーアートも日本と海外では表現されるものが大きく違ったし、その表現の幅を最大限活かそうと、アスキーアート専用のキャラクター*1が生み出されるなどしたが、Emojiではそのような事は起こり得ないだろう。Emojiの主導権を持っているのはユーザではなく、アーキテクチャを管理する誰か(実際にはUnicodeコンソーシアムとベンダたちだが)であり、何を表現できて何を表現できないかは、彼らが決定するのだ。

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図3. iOS10における「smile」

 もう一つ大きな問題は規格を決めるUnicodeコンソーシアムが本当に「コンヴィヴィアリティ」であるか、という点だ。確かにUnicodeコンソーシアムは、Emojiの決定に関して企業の干渉を認めていないし、人種差別などのあらゆる差別が含まれないように配慮し続けている。だが、彼らは「そのEmojiが必要かどうか」の判定に多くの場合「どれだけインターネット上で注目されているか」という尺度を使用する(田所 2016)。

 これはとても危険なことではないか。データ上の頻度というのは非常に公平ではあるが、そこに人間的な価値観は存在しない、あるのはただアルゴリズムによる選別だけだ。あまり使われないが大切な語というのも多くあるだろう、そしてそれらの多くはEmojiに搭載されないことで、人々から更に忘れられるということもあるのではないだろうか。

5. 終わりに

 以上のようにEmojiはUnicodeという文字コードに搭載されているため、そのアーキテクチャ性を色濃く引き継いでいる。その性質からインターネット上のコミュニティのグローバル化に大きく貢献しているが、その裏でEmojiは我々の文化を一瞬にして変容させてしまうほどの危険性も孕んでいる。非常に意識されづらいレイヤーの技術ではあるが、そうであるからこそ慎重な議論の上で扱われるべき技術である。

 私はEmojiが好きだ。だからこそ、この文章を書いた。SNSに文章を投稿しようとする時にEmojiの一覧を見ていると「これがほしいな」「あれがほしいな」となることがあり、最終的には「違う文章を投稿しよう」となることもある、そしてそれは紛れもなく私がEmojiというアーキテクチャに制御されて思考を変えた瞬間なのだ。

[文献]

 

*1:具体的にはモナーやギコなど。主に匿名掲示板2ちゃんねるで使用された