意味論的社会学的ソキウス・ディレクティオーネ

L ( 転轍 \lor \lnot 転轍 ) \supset M( 良き倫理 )

The Mathematician

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「コンピュータが出来た」

1. von Neumannとは誰か

 1905年に生まれ、1957年、53歳で没する。死因は、彼自身が推進した原水爆開発の核実験において受けた度重なる放射線の影響による骨髄癌。生涯を通して、論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学政治学に関する150の論文を発表。死後、それらの論文を集めて『The Collected Works of John von Neumann』が刊行、全部で3689ページに及ぶ。

 プログラム内蔵方式の「von Neumann architecture」や量子論の数学的基礎である「von Neumann algebra」、ゲーム理論の「von Neumann's theorem」など、20世紀に発達した科学理論のどの分野にも彼の名前の業績が残っている。他にも、「von Neumann universe」「von Neumann model」「von Neumann paradox」など。

 しばしば「20世紀最高の知性」と称されるが、彼自身はそれは自分ではなくGödelだと返していたらしい。

2. 「The Mathematician」

 「The Mathematician(数学者)」はNeumannが1946年にChicago大学で行った講演録で、「数学」に対する自分の見解を一般聴衆に向けて発表した。また、これは『The Collected Works of John von Neumann』第1巻の巻頭を飾っている。

 この文章の中でNeumannは、いくつかの数学界に巻き起こった事例や、数学の進展そのものを俯瞰しながら、数学が経験と切り離すことのできない学問分野であることを再確認している。Neumannが生きた20世紀の数学や物理学の様子をつかむのにも非常に良い文章だろう。しかしながら、2018年において、数学はともかく、Neumannがここで述べたような理論物理学像はある所では正しく、ある所では時代遅れになっているといえる。この点には留意しておく必要があるだろう。

 知的な研究の性質について議論するということは、どのような分野においても、骨の折れる仕事です。それが数学のように、私たち人類に共通する知的な研究の中心に位置し続けているような分野であっても、難しい仕事であることに変わりはありません。いかなる知的行為の性質についての議論も、その特定の知的行為を単に経験するよりも難しいのです。たとえば飛行機の性質について、それを浮上させ推進させる力学の理論や方法を理解することは、実際に飛行機に乗って空中に浮いて移動したり、それを操縦することよりも、さらに困難といえます。というのも、ある特定の行為について深く理解するためには、事前にその行為を実行し使用することに慣れ親しんでおかなければならないからです。人はそうすることによって初めて、その行為を直感的かつ経験的に実感できるのです。

 したがって、知的な研究の性質について議論するということは、どのような分野においても、その分野に十分に慣れ親しんでいるだけの熟達が前提とされない限り、困難と言えます。とくに数学の性質について、その議論を非数学的な水準に留めておこうとすると、話を進めることが非常に難しくなります。さまざまな論点を厳密に記述することもできないし、論法が全体的に表面をなぞっただけの上滑りの印象を与えることも避けられません。つまりそれは、非常に好ましくない議論にならざるをえないのです。

 これから私がお話することには、そのような欠点が含まれることをあらかじめ申し上げて、お詫びしておきたいと思います。そのうえ、私がお話する見解は、おそらく私以外の多くの数学者に全面的に共有されているものでもありません。ですから、これから皆さんがお聴きになるのは、ある一人の数学者の、必ずしもうまく体系化されていない解釈や感想にすぎないということになります。しかも私は、それらの解釈や感想がどの程度正しいのか、皆さんに判断していただくための基準をお伝えすることもできません。

 このように数々の障害があることはたしかですが、それでも数学における知的研究の性質について皆さんにお話しできるというのは、実に興味深く挑戦する価値のある機会だと思います。今は、仮に私が間違えたとしても、それがあまりにひどすぎる間違いにならないように祈るばかりです。

 さて、数学について、もっとも重要な性質は、私の見解によれば、自然科学との非常に独特な関係性にあります。あるいは、自然科学をより一般的に、経験を単に記述するだけでなく、より高いレベルで解釈しようとする科学と理解していただいても構いません。

 多くの人々は、それが数学者であろうとなかろうと、数学は経験科学ではないという主張に同意するはずです。あるいは、少なくとも数学が経験科学とは根本的に異なる手法で実践されているという点には同意するでしょう。それにもかかわらず、数学が自然科学と非常に密接に結びついて発展してきたことは事実です。数学の主要な分野の一つである幾何学は、実際に経験科学としての自然科学から始まりました。現代数学におけるいくつかの最高のインスピレーション(私が最高だと信じているもの)は、明らかに自然科学から発生しています。数学の方法は、自然科学の「理論的」な分野に行き渡り、それを支配しています。現代の経験科学は、数学的手法か、あるいは物理学における疑似数学的手法に到達できるかどうかによって、成功するか否かが決定づけられるようになっています。実際に、自然科学全般が、すべて数学へ向かう連続的な疑似形態を形成しているといっても過言ではありません。数学へ向かうことこそが科学的進歩の理念だと信じられている状況は、ますます顕著になっています。生物学は化学と物理学に支配され、化学は実験物理学と理論物理学に支配され、物理学は理論物理学のきわめて数学的な形式に支配されるようになってきています。

 数学の本質には、その意味で非常に特殊な二面性があるのです。この二面性を理解し、受け入れ、それと同化しなければ、数学について考えることはできないでしょう。この二面性こそが数学の表象なのです。この点を無理に単純化したり単一化してしまうと、本質を見落としかねません。

 そこで私は、ことさら単一化した見解はお話しないことにします。私は、私にできる限りの方法で、数学を多面的な現象として描いてみたいと思います。

 数学におけるいくつかの最高のインスピレーションは、それが考えうる限り最も純粋数学に属する分野であっても、自然科学から発生していることを否定できません。ここでは、最も記念碑的な事例を二つ挙げることにしましょう。

 最初の例は、当然のことながら、幾何学です。幾何学は古代数学の主要部分を占めていました。そこから派生し分岐した分野は、今も現代数学の主要な分野として残っています。幾何学の起源は、疑いの余地もなく経験的なものであり、実地の作業から始まったという点では、物理学と変わりありません。その証拠はいくらでも挙げることができますが、「幾何学」という名前そのものを見るだけでも明らかでしょう。Εὐκλείδηςの演繹的な手法が、経験からの大きな飛躍を生み出したことはたしかですが、それが決定的かつ最終的な飛躍となって、絶対的な分離を生み出したと結論できるほど話は単純ではありません。ここでΕὐκλείδηςの公理化が、現代数学の求める絶対的に厳密な公理主義に適合していないという指摘は、それほど重要ではありません。より本質的に重要なのは、明らかに経験的な工学や熱力学などの分野も、一般に多かれ少なかれ演繹的な手法にもとづいて構成されていることです。これらの分野の著作を見渡すと、Εὐκλείδηςのものとほとんど見分けがつかないものもあります。理論物理学の古典であるNewtonの『Principia』は、最も中心的な概念描写から文章構成にいたるまで、Εὐκλείδηςの著作そっくりです。もちろん、Newtonが前提としたすべての公理の背景には、それらの公理を支持する物理的直観と、それらを現実に立証する実験的検証がありました。しかし、その意味では、Εὐκλείδηςの著作も同じように解釈することができます。とくに幾何学が、現代にいたる二千年の安定と権威を獲得する以前の時代においては、なおさら経験との合致が重んじられたのです。そのようにして与えられる権威は、現代の理論物理学の体系には明らかに欠けているでしょう。

 さらに付け加えると、Εὐκλείδης以来、幾何学の脱経験主義化は徐々に進んできましたが、現代においてさえ、それが明確に完了したというわけではありません。このことをわかりやすく示しているのが、非Εὐκλείδης幾何学の議論で、それはまた数学的思考の二面性を表しています。その議論のほとんどは非常に抽象的な次元で行われましたが、その中心にあるのは、Εὐκλείδηςの「平行線公準」が他の公準から導かれるのか否かという純粋に論理的な問題でした。そして、この問題は、Kleinによって解決されました。彼は、純粋に数学的な手法で、いくつかの基本的概念を形式的に再定義し、Εὐκλείδης理論の一部を非Εὐκλείδης理論化できることを示したのです。とはいえ、この論争には、最初から最後まで経験的な刺激が介在していました。そもそもΕὐκλείδηςのすべての公準のなかで平行線公準だけが問題にされてきた最大の理由は、その公準だけに現れる無限空間という概念の非経験的な性質にありました。それでも、いかなる数学的・論理的分析を経たとしても、Εὐκλείδηςに合意するか否かを決定するためには、少なくとも主要な意味において経験的でなければならないと考えたのが、偉大な数学者Gaussでした。そして、Bolyai、Лобаче́вский、Riemannの業績を経て、Kleinが、より抽象的な帰結を得ることによって、本来の論争に形式的な解決を導いたのです。それにもかかわらず、そこに外界から与えられた刺激は、経験主義つまり物理学でした。一般相対性理論の発見によって、私たちは、幾何学的関係をまったく新しい枠組みで捉え直さなければならなくなり、そのことが純粋数学の視点の置き方を同時に大きく変化させたのです。その幾何学の絵のコントラストを完成させる一筆が最後に描かれました。この最終的な進展は、現代の公理主義および論理主義的な数学者たちによって、Εὐκλείδηςの公理的方法を完全に脱経験主義的に抽象化することによって得られました。一見対立するようにしか見えない二つの側面は、数学的な精神の内部において完全に共存可能なのです。だからこそ、Hilbertは、公理的幾何学一般相対性理論の両方に重要な貢献を行うことができたのです。

 第二の例は微分積分であり、そこから派生したすべての解析学ということもできます。微分積分法は、現代数学が最初に成し遂げた成果であり、その重要性はいくら高く評価しても過大にすぎることはありません。私が思うに、微分積分法ほど明確に現代数学の誕生を決定づけるものは他に存在しません。微分積分法の論理的な発展としての数学的な解析学の体系は、厳密な思考における最大の技術的発展といえます。

 微分積分法の起源も明らかに経験的でした。最初にKeplerが試みた積分法は「長円測定法」と呼ばれるもので、樽のように、表面が局面になっている物体の体積を測定する方法でした。これも幾何学ではありますが、非Εὐκλείδης幾何学であり、しかも非公理主義的でもあるという大きな特徴を持った経験主義的な幾何学でした。この事情すべてを、もちろんKeplerは完全に理解していました。NewtonとLeibnizによる微分積分法の主な発見と業績も、明らかにその起源は物理的なものでした。Newtonは「流出法」を生み出しましたが、それは基本的に力学を目的とするものでした。事実、微分積分法と力学という二つの学問分野を、Newtonはほぼ同時に創りあげたのです。ただし微分積分法の最初の定式化は、数学的に厳密なものではありませんでした。Newton以来の百五十年間にわたって、不正確で、なかば物理的な定式しか存在しなかったのです! それにもかかわらず、この不正確で、数学的に不適格な背景の中で、解析学におけるもっとも重要な発展のいくつかが生まれました! この時期の代表的な数学精神は、Eulerのように必ずしも厳密性を求めるものではありませんでしたが、GaussやJacobiのように本流を目指す数学者も存在しました。この時期の数学の発展は、非常に混乱して意味が不明瞭なものも多く、それと経験主義との関係も、現代の私たち(あるいはΕὐκλείδης)が求めるような抽象化と厳密性に対応するものではありません。しかし、この時期の数学は、かつて例をみないほどの第一級の発展を見せたことから、この時期を数学史から排斥しようという数学者は一人もいないでしょう。そしてCauchyによって厳密性が再び確立された後、Riemannによって非常に独特な物理的な方法に逆戻りしたのです。Riemannの経験科学的な人間性そのものが、数学の二面性を見事に照らし出しています。このことは、RiemannとWeierstraßの論争によく表れているのですが、これ以上の詳細に踏み込むとテクニカルな話に深入りしすぎるので、ここでは止めておきましょう。ともかくWeierstraß以来、解析学は、完全に抽象的で、厳密で、非経験的なものになったように思われます。しかし、そのことさえ無条件に真だと受け入れるわけにはいきません。最近のに世代ほどの間に行われてきた数学と論理学の「基礎」についての論争は、この種の見解について多くの幻想を吹き飛ばしました。

 ここから第三の例を紹介することになりますが、それは数学の基礎と関係があります。この例は、数学と自然科学の関係というよりは、数学と哲学や認識論との関係にかかわるものです。それは「絶対的」な数学的厳密性の概念が不変ではないという衝撃的な事実を示しています。厳密性の概念がさまざまであるということは、数学的な抽象以外の別の何かが、数学の構成に作用しているということを意味します。この「基礎」についての論争を分析して、その外部の何かが経験主義的な性質をもつと結論づけることに対しては、私自身もいまだに確信があるわけではありません。しかし、少なくとも議論の幾つかの局面においては、その種の解釈を支持する事例はきわめて強力です。ただ私は、それが絶対的に確実だと確信するには至っていないということです。とはいえ、次の二つの事は明らかです。第一に、経験科学または哲学、あるいはその両方と結びついている非数学的な何かが、本質的に数学に侵入してくるということ、そして数学の脱経験主義的な性質は、その哲学(具体的には認識論)が経験から独立して存在することを前提にしなければ成り立たないということ(そして、この前提そのものは必要条件にすぎず、十分条件ではないのです)。第二に、「基礎」についての議論をどのように解釈するかにかかわらず、数学が経験主義的な起源をもつということは、さきほど示した二つの事例(幾何学微分積分法)から強く支持されているということ。

 数学的な厳密性の概念の多様性を分析するにあたって、私はすでに述べた「基礎」の論争に主眼を置いて説明したいと思います。ただその前に、その議論の副次的な性質について簡単に考えておきましょう。この性質は私の見解を補強するものではありますが、それを私が副次的だと考える理由は、それが「基礎」の論争の分析ほどには決定的でないと考えるからです。ここで私が言おうとしている性質とは、数学的な「スタイル」の変化のことです。数学的な証明がどのように表現されるか、そのスタイルが大きく変化してきたことは、よく知られています。これを流行というよりも変化と呼んでいる理由は、現代の数学者と18世紀あるいは19世紀の数学者の証明に見られる相違の方が、現代の数学者とΕὐκλείδηςとの相違よりも大きからです。その一方で、他の大部分の局面においては、かなりの一貫性があることも事実です。相違があるといっても、それは基本的に表現の仕方の相違であり、何か新しいアイディアを持ってこなければ解消できないというほどのものではないと思われていました。しかし、それでも多くの事例において、その相違は非常に大きいので、これほどまでに異なる方法で「彼らの証明を表現した」数学者たちは、単に数学に対するスタイル、センス、そして受けた教育だけが違っているからだと言い切ってよいのか、疑問視されるようになりました。彼らは、何が数学的厳密性を構成するのかということについて、本当に現代の数学者と同じ考えを抱いていたのか、疑われるようになったのです。そして最終的に、最も極端な事例(たとえば、すでに触れた18世紀後半の解析学の多くの業績)において、その相違は本質的であり、その相違を解消するのには、まったく新しく深淵な理論を構築しなければならず、その理論を開発するためには百年はかかるとみなされるようになりました。私たちから見て、数学的に厳密でない方法で業績を残した数学者たち(あるいは、彼らを批判しながら、同じことをしている現代の数学者たち)は、自分たちが厳密性を欠いていることを重々承知しています。もっと客観的に言うならば、数学的な手順がどのようにあるべきかという彼ら自身の願望は、彼ら自身が実際に取った行動よりも、現代の私たちの考えと一致しているのです。しかし、たとえばEulerのような当時の偉大な巨匠は、完全なる善意に基づいて行動し、自分自身の基準に十分に満足して、数学を行ったのです。

 しかし、この問題については、もうこれ以上立ち入らないことにします。それよりも「数学の基礎」についての論争という完全に明快な事例に移りましょう。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、抽象的数学の新しい分野であるCantorの集合論が、難解な問題に直面しました。それは、集合論のある推論が矛盾を導いてしまうという問題でした。そして、これらの推論は、集合論において中心に位置する「使える」部分にあるのではなく、さらに、ある定式的な基準によって見分けることが容易であるにもかかわらず、なぜそれらを他の集合論の「うまくいく」部分より集合論的ではないと判断しなければならないのか、その理由が明らかになりませんでした。それらが結果的に大きな危機をもたらしたという事実は別として、そもそもどのような動機と、このような状況に対するいかなる一貫した哲学を維持すれば、この問題部分だけを他の保護すべき集合論から除外できるのかが不明だったのです。この問題の真価が何を意味するのか、とくにRussellとWeylによって詳細な研究が行われました。この問題に結論を出したBrouwerは、集合論に限らず、ほとんどすべての現代数学において、「一般的な妥当性」と「存在」という概念を用いると、そこから哲学的な問題が生じることを示しました。そしてBrouwerは、このような望ましくない性質を排除した「直観主義」と呼ばれる数学体系を構築しました。この体系においては集合論の問題や矛盾は生じません。しかしながら、現代数学のざっと五十パーセント、しかもこれまで問題視されるようなことのなかった解析学の主要部分が、この「追放」の影響を受けることが明らかになりました。つまり、それらは妥当でなくなるか、あるいは非常に複雑で従属的なアイディアによって修正を加えなければならなくなったのです。そして、後者のような修正を行うと、一般的な妥当性は失われ、エレガントな演繹性も消え去るのです。それにもかかわらず、WeylとBrouwerは、数学の厳密性を保持するためには、そのような修正を施さなければならないと考えました。

 この事件が何を意味するのか、もっと深刻に受け止めなければなりません。1930年代に、20世紀を代表する2人の数学者が、証明を厳密に行なうために要求される数学の厳格性の概念は修正されるべきだと提言したのです! 2人は、どちらも第1級の数学者であり、数学とは何か、数学は何のためにあるのか、数学は何を扱うのかということを、誰よりも深く完全に知り尽くしているはずです。このことは、その後に起きた進展と同様に大切に記憶に留めておきたいことです。

  1. きわめて少数の数学者だけが、この新しく要求された厳密な基準を日常的な数学に適用することを受け入れました。しかし大多数の数学者はWeylとBrouwerは明らかに正しいだろうと認めながら、自分たち自身は、以前からの「安易な」流儀で数学を実行するという逸脱を続けました。おそらく彼らは、いつか誰かが、直観主義的な批判に対する答を見つけてくれて、事後的に自分たちの仕事を正当化してくれることを期待していたのでしょう。
  2. Hilbertは、次のような独創的なアイディアによって、「古典的」(つまり直観主義以前の)数学を正当化しようとしました。直観主義体系においても、古典的な数学がどのように作用するのかについて、厳密な基準を与えることはできます。つまり、古典的な数学がうまくいくことを正当化することはできないまでも、厳密に表現することはできるわけです。したがって、古典的な手続きが矛盾に陥ることなく、相互に相反するような結果が導かれないことを、直観主義的に表現できるかもしれません。それを証明することは、明らかに非常に困難な仕事ではありますが、どのような方法を試みればよいのかという点については、ある程度の見通しもありました。もしこのプログラムがうまくいけば、古典的な数学は、それに対抗する直観主義体系の基礎の上に築かれることになり、何よりも明確に正当化されることになるでしょう! 少なくとも、この解釈は、多くの数学者が喜んで受け入れる数学の哲学の体系において、合法的とみなされるはずでした。
  3. 数学者たちがこのプログラムを実行し始めて十年ほど経過した頃、Gödelが最も注目に値する結論を導きました。この結論を絶対的に正確に表現するためには、ここでお話するにはテクニカルすぎる幾つかの条件や注意が必要になります。とはいえ、本質的に重要なのは、次のようなことです。もし数学の体系が矛盾を導かないとすると、その事実を体系内の手続きによって証明することはできないのです。Gödelの証明は、数学的厳密性の中でも最も厳密な直観主義的な基準をも満足させるものでした。この帰結がHilbertのプログラムに及ぼした影響は、論争を巻き起こしました。その理由は、再びテクニカルすぎるので、ここではお話しできませんが、私の個人的な見解としては、これは多くの数学者も賛同していることですが、GödelはHilbertのプログラムが本質的に達成不可能であることを証明したのです。
  4. HilbertやBrouwerとWeylの方法によって古典的な数学を正当化しようとする希望が失われたにもかかわらず、多くの数学者は、これまでと同じ体系を使い続けることにしました。結局のところ、古典的な数学は、便利でエレガントな成果をあげ続けていますし、たとえその信頼性を絶対的に確証することができないとしても、それはたとえば電子が存在するのと同じ程度には確実な基盤の上にあるとみなされたのです。ですから、もし人が科学を喜んで受け入れるのならば、その人は古典的な数学体系も同じように喜んで受け入れるはずだというわけです。このような考え方は、直観主義的体系の提唱者たちの一部からさえ受け入れられました。現在も「基礎」に関する論争は続いていますが、いずれにしても、ごく少数の数学者を除いて、古典的な数学の体系を放棄する見込みはないと考えてよいでしょう。
 この論争に関する経緯を詳細に説明したのは、数学的厳密性をあまりにも当然の不動の前提として受け取ることに対して警告を発したかったからです。この論争は、私たちの生きている現代に生じているのです。この論争の行われた期間に、私自身、絶対的な数学的真理というものについて、恥ずかしくなるくらい簡単に自分自身の考えが変化したことを体験しています。なんと私の考えは、三度も続けざまに変化したのですから!

 ここまでにお話した三つの事例によって、私の見解の半分は十分に示すことができたと思います。それは、数学における最高のインスピレーションが経験から発生したということ、あらゆる人間の経験から切り離したところに、数学的厳密性という絶対的な概念が不動の前提として存在するとは、とても考えられないということです。この点について、もっとわかりやすい言い方で説明しましょう。数学者の哲学的あるいは認識論的な好き嫌いがどのようなものであるかにかかわらず、数学者が数学を行う際に、数学的厳密性の概念がアプリオリに与えられていると信じているような数学者は、ほとんど存在しないはずだということです。しかし、私の見解には、後半部分もありますので、それをこれからお話しようと思います。

 数学者にとって、数学が純粋に経験的な科学であること、すなわち、すべての数学的なアイディアが経験的対象から発生したと信じることは非常に困難だと思います。まずその困難な部分について考えてみましょう。現代数学のさまざまな重要な分野において、経験的な起源の痕跡を辿ることはできませんし、仮にその痕跡を辿ることができたとしても、あまりに出発点からかけ離れているため、すでにその対象は経験的な起源から切り離されて完全に変形してしまい、元の姿を留めてはいないのです。たとえば代数学の記号化は、とくに数学の一分野で利用されるために生み出されたものですが、その根源が経験と強力なつながりを持つことは明らかでしょう。しかし、現代の「抽象」代数学は、発展すればするほど、ますます経験とのつながりをなくしています。位相幾何学についても同じことが言えます。これらのすべての分野において、数学者の成功は主観的な基準にもとづき、彼の努力が報われたか否かは、きわめて自己満足的かつ審美的に判断され、経験的なつながりは(ほとんど)持ちません(この点については、後で詳しく述べるつもりです)。この点は、集合論においてさらに明確です。無限集合の「階層」や「順序」は、有限数の概念の一般化で与えられますが、それが無限構造では(とくに「階層」において)、現実世界とはほとんど何の関係も持ちません。テクニカルな言葉が許されるならば、これに類した集合論の事例はいくらでも挙げることができます。「選択公理」、無限「次数」の「比較可能性」、「連続体仮説」などなど。同じことは、実関数理論や実点集合論の大部分にも当てはまります。二つの奇妙な事例が、微分幾何学群論によってもたらされました。もちろん、これらの研究も抽象的で、応用とは無縁の学問分野であり、一貫して純粋数学として発展してきたものです。これらの研究が始まって、一方では十年、もう一方では百年が経過した頃、実はこれらの研究が物理学において非常に有用であることが明らかになったのです。それにもかかわらず、これらの分野は、依然として間接的かつ抽象的で、非実用の精神に基いて研究されているのです。

 このような状況を示す事例や、それらのさまざまな組合せによるさらに多くの事例はいくらでも紹介できますが、ここで最初に述べた見解に戻ることにしましょう。つまり、数学は経験的な科学なのでしょうか。あるいは、より現実的な言葉を用いるならば、数学は経験科学が実践されているのと同じように実践されているのでしょうか。もっと一般的な言葉を用いるならば、数学者と数学の関係は何なのでしょうか。数学者にとって、成功の基準とは何か、望むことの基準は何か、彼の努力について、何が影響し、何が支配し、何がそれを方向づけるのでしょうか。

 数学者の日常的な仕事の進め方が自然科学の仕事の進め方とどのように違うのかを考えてみましょう。明らかにこれらの相違は、それが理論的研究から実験的研究に変化するにつれて、さらに実験的研究から記述的研究に変化するにつれて拡大していきます。ですから、数学に最も近い範疇に収まる自然科学の理論的研究と比較することにしましょう。もしかすると私の発言は数学的に思い上がっていると受け取られるかもしれませんが、その点はあまり厳しく追求せずに受け流していただけたら幸いです。ともかく、すべての理論的科学の中でもっとも高度に発達しているのは、理論物理学です。そして、数学と理論物理学は、実際にかなりの内容を共有しています。すでに述べたように、Εὐκλείδηςの幾何体系は、古典的力学の公理的提示のプロトタイプでした。また、熱力学の現象学的な表現、Maxwell電磁気学特殊相対性理論の表現においても、同じような体系化が試みられています。さらに、理論物理学は現象を説明するのではなく、単に分類し関連付けるという姿勢も、今日ほとんどの理論物理学者によって受け入れられています。このことは、そのような理論における成功の基準が、単純かつエレガントな分類法および関係づけのスキーマによって、そのスキーマなくしては複雑で相容れない多くの現象を説明できるか否かということと、そして、そのスキーマが提示されたときには想定されていなかった現象を説明できるか否かに単にかかっているということを意味します(この最後の二つの見解は、もちろん、理論の統一可能性と現象の予測可能性を表しています)。さて、ここに提示したような基準は、明らかに審美的な性質に支配されていることがおわかりいただけるでしょう。この理由からしても、そのほとんど全部が審美的な数学的成功の基準によく似ています。ですから、数学は、それに最も近いところに位置する理論物理学という経験科学と、実際に多くの共通点を持つことを立証できたと思います。一方、数学と理論物理学の実際の手続きの相違は、もっと大きく根本的な部分にあります。理論物理学の目的は、主として「外部」から、多くの場合は実験物理学の必要性によって要請されます。それらの目的は、ほとんどいつも目の前にある難解な現象を解決することから始まるのであって、理論を統一したり予測したりする仕事は、通常その後からやってくるのです。比喩的に表現するならば、理論物理学の発展(理論の統一や現象の予測)は、何らかの既存の難問(通常は既存の体系内部に生じる明確な矛盾)との戦いの後を追うことによって生まれるのです。理論物理学の仕事の一部は、そのような障害を探すことにあるわけで、それが「大発見」につながる可能性もあるのです。すでにお話ししたように、この難解さは、通常は実験によって見いだされるものですが、場合によっては、すでに受け入れられている理論のさまざまな部分との矛盾として現れることもあります。もちろん、このような事例は数え切れないほど存在します。

 Michelsonの実験が特殊相対性理論を導いた事例や、ある種のイオン化電離ポテンシャルと分光構造の難問が量子力学を導いたのが前者の事例です。特殊相対性理論とNewtonの重力理論の間に生じた矛盾が一般相対性理論を導いたのは、こちらのほうが前者よりは稀ですが、後者の例です。いずれにしても、理論物理学の問題は、客観的に与えられます。そして、すでにお話ししたように、成功したかどうかの判断基準は主として審美的なもであるとはいえ、最終的に「大発見」とみなされるための基準は、あくまで厳しい客観的事実なのです。ですから、理論物理学で取り上げられるテーマは、ほとんどいつも非常に凝縮されたものになります。実際に、過去の理論物理学の努力は、せいぜい1つか2つの非常に限定された領域の内部に集中しています。1920年代から30年代前半の量子論、1930年代後半以降の素粒子論と核構造論がその実例です。

 ところが、数学においては、このような状況とはまったく異なります。数学は、非常に多くの分野に分かれていて、それぞれの分野に応じて性質・スタイル・目的そして影響さえ異なっています。この状況は、理論物理学が非常に凝縮されたテーマを追いかけているのと、まさに正反対といえます。よい理論物理学者であれば、今日話題になっている問題に対して、彼の専門分野の半分以上の関連知識を持ち合わせているでしょう。しかし、現存する数学者の場合、自分の専門外となると四分の一程度の関連知識さえ持ち合わせていないでしょう。「客観的」に与えられた「重要」な問題が生じたとしても、数学の下位分野の専門化が進みすぎてしまったため、そこに到達する前に泥沼にはまりこんで身動きの取れない状況になるかもしれません。しかし、そのような状況になったとしても、数学者は、その問題をあくまで追求するのも自由ですし、放置して何か他の問題に向かうのも自由なのです。この点は、理論物理学における「重要」な問題が、一般に矛盾や論争を含んでいるため、何としても「解決しなければならない」のとは対照的です。数学者は、幅広く多様な研究分野を持っていて、自分の好きな方向に自由に進むことが出来ます。そして、これが決定的に重要な点なのですが、私の見解では、数学者が研究分野を選択する基準は、そして成功したと考える基準は、基本的に審美的なものだということなのです。このような主張が反論を生むことはよくわかっていますし、今ここで、この主張を「証明する」ことも不可能です。というのは、仮にこの主張を証明しようとすれば、多くの個別のテクニカルな事例を分析しなければなりませんが、そのためには非常に高度な議論が必要となるので、今そこに踏み込むことは出来ません。とはいえ、数学の審美的な性質は、理論物理学について述べた事例よりも顕著であることだけを主張すれば、私としては十分です。数学者は、数学的な定理や理論によって、多くの異質な個別事例を、単純で上品な方法で分類し表現することだけを求めているのではありません。同時に「建設的」な構造のなかに「エレガント」な性質を期待しているのです。数学の問題を語ることは簡単ですが、その問題を明確に理解し、解決するためにあらゆる試みを行うことは、非常に難しいのです。すると突然、実に驚くべきインスピレーションが生まれて、その試みや問題へのアプローチが非常に容易になることもあります。また、もし証明の演繹が長く複雑になると、そこに幾つかの単純な一般的な原則が含まれていることがわかり、それによって複雑な迂回路が簡単に「説明」されて、一見すると法則性のない演繹が幾つかの単純な動機の流れに還元されることもあります。これらの基準が、あらゆる創造的な芸術に共通していることは明らかでしょう。その根底に存在するのは、経験的で世俗的な主題ですが、この主題は多くの場合、はるか彼方の後方に存在し、審美的に進化した無数の迷宮のような変異によって覆い隠されていきます。このような数学の性質すべては、経験科学よりもずっと、純粋で単純な芸術の雰囲気に近いものです。

 すでにお気づきのことと思いますが、私は数学と実験科学や記述科学との相違には触れませんでした、というのも、もはやその方法や一般的な雰囲気の相違は、あまりにも明らかだからです。

 以上、お話ししてきたことで、私としては比較的うまく真実を近似的にまとめることができたと自負しております。数学的な発想は経験から発生しますが、そこから派生するのは長く曖昧な系図であり、あまりに複雑すぎるため、近似的にまとめる以外に表現できないほどです。しかし、いったん数学的な発想が認識されると、その認識はそれ自体で、ほとんど完全に審美的な動機に基づく独自な生命活動を始めるようになり、それは経験科学よりもずっと創造的芸術に近いものになります。この時点で、しかしながら、私がとくに強調しておくべきだと信じるのは、次の点です。数学が経験的な起源から遠く離れるにつれて、とくにそれが「現実」から生じる発想に間接的にしか刺激を受けない2世代から3世代後の時代になると、非常に重大な危機にさらされるということです。数学は、純粋に審美主義的になればなるほど、ますます純粋に「芸術のための芸術」に陥らざるをえないのです。もしその研究分野がより経験主義的な関係を持つ研究分野に取り囲まれているのならば、あるいは、その研究の原則が非常に経験主義的なセンスを持った数学者の影響下にあるならば、それも必ずしも悪いことではないかもしれません。しかし、その研究分野が、まったく抵抗もしないままに大きな流れに身を任せ、結果的にあまり重要でない無意味な領域に枝分かれし、重箱の隅のような些事と煩雑さの集積に陥るようであれば、それは大きな危険と言えます。要するに、経験的な起源から遠くはなれて「抽象的」な近親交配が長く続けば続くほど、数学という学問分野は堕落する危険性があるのです。何ごとも始まるとき、その様式は古典的です。それがバロック様式になってくると、危険信号が点灯されるのです。数学において、バロック様式がさらに高度なバロック様式へ進化していく独特な過程を順に例示することは簡単ですが、これも非常にテクニカルな議論になるので、やめておきましょう。

 いずれにしても、このような段階に到達した際の唯一の治療法は、出発点に戻って若返りをすることだと思います。つまり、多かれ少なかれ、経験的な発想を直接的に再注入するのです。これこそが数学の新鮮さと活力を保持するための必要条件であり、未来においても同じように正しい処置であり続けるだろうと私は信じております。

(John von Neumann, 1946, "The Mathematician")

[文献]