意味論的社会学的ソキウス・ディレクティオーネ

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数学から論理学へ

はじめに

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 この記事では、「数学の危機」とも証される時代、そしてGödelの不完全性定理に到達するまでの数学史を簡単に概観する。数学的な事前知識を特に必要としない。

1. 幾何学

1-1. Πυθαγόρας

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 紀元前6世紀、古代ギリシアに偉大な数学者であり哲学者のΠυθαγόρας(ピタゴラス)が生きていた。数学における最も初めの定理は彼の考え出したピタゴラスの定理 Pythagorean Theoremである。内容は以下の通り。

任意の直角三角形において、斜辺を一辺とする正方形の面積は、直角をはさむ二辺それぞれを一辺とする正方形の面積の和に等しい。

 このことは、古代エジプト文明のピラミッド建設の際にも経験的に知られてはいたが、この事があらゆる直角三角形に対して成立することを示した、つまり「証明 proof」したのは彼が初めである。つまり、数学に「証明」の概念を初めに持ち込んだのは彼である。

1-2. Εὐκλείδης

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 紀元前3世紀のギリシャの数学者であり、幾何学の父とも称されるのがΕὐκλείδης(エウクレイデス / ユークリッド)である。彼は「公理 axiom」と呼ばれる命題から出発して「定理 theorem」と呼ばれる新たな命題を導く体系を構築した。これを「公理系 axiomatic system」と呼ぶ。彼は次のような5つの公理を「自明の共通概念」として導入した。

  1. 同じものに等しいものは互いに等しい
  2. 等しいものに等しいものを加えれば、全体は等しい
  3. 等しいものから等しいものが引かれれば、残りは等しい
  4. 互いに重なり合うものは互いに等しい
  5. 全体は部分より大きい

 彼はこれらの公理に加えて、「公準 postulate」と呼ばれる幾何学的公理を定義し、それを利用して465に及ぶ数学的定理を証明した。公準とは公理に準じて要請されるものの意味で、もはや今では使われなくなった概念である。他のものを導き出す原初の命題という意味では共通しているといえる。彼の考えた5つの公準は次の通り。

  1. 点と点を直線で結ぶことができる
  2. 線分は両側に延長して直線にできる
  3. 1点を中心にして任意の半径の円を描くことができる
  4. 全ての直角は等しい(角度である)
  5. 1つの直線が2つの直線に交わり、同じ側の内角の和を2つの直角より小さくするならば、この2つの直線は限りなく延長されると、2つの直角より小さい角のある側において交わる。

 彼は自らの成果の集体系として全13巻に及ぶ大著『Στοιχεία(ストイケイア)』(原論)を記した。

1-3. 非ユークリッド幾何学

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 ΕὐκλείδηςがΣτοιχείαを記してから、2000年以上にわたって、ユークリッド幾何学 Euclidean geometryは自然界の真理を表す「唯一」の幾何学でありつづけた。Newtonの物理学やKantの哲学もすべてこれを大前提として組み立てられている。

 しかしながら、19世紀において、これがどうも「唯一」でないということが相次いで証明される。先の5つ目の公準、通称「平行線公準」を除いても、あるいは平行線が二本あったとしても論理的に問題がないことが判明した。

 そして、この平行線公準を除いたり変更したりしたユークリッド幾何学 non-Euclidean geometryが生み出された。当初こそ、これは想像上の産物に過ぎなかったが、Newton力学が地球規模のスケールの問題しか扱えないことが明らかになり、宇宙レベルの話では非ユークリッド幾何学の重要性が増すことになる。このこと――宇宙規模のスケールの物理現象を説明するには重力が時空そのものを変化させるという概念が必要だという考え――を人類に示したのが、Einsteinの一般相対性理論 allgemeine Relativitätstheoireである。

2. 自然数

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 非ユークリッド幾何学の登場は、公理を「自明の共通概念」といったような曖昧な日常表現で定義することの危うさを浮き彫りにした。それいゆえ、公理を数学的に厳密な意味で定義する必要性が生まれた。

2-1. 構文論

 構文論 syntacticsとは、数学の公理化の研究である。一定の公理と推論規則を記号論理によって厳密に構成することによって行われる。証明論とも。

2-2. 意味論

 意味論 semanticsとは、公理系の意味を解釈し、適用可能なモデルを研究するもの。モデル理論とも。構文論で確立された人工的な厳密な公理系を意味論で解釈するのが理想的な手続き。

2-3. 自然数

 自然数論は、自然数 natural numberの加法や乗法などの演算に関する理論。数学の原点とも呼ばれる。1888年、イタリアの数学者Giuseppe Peanoは、自然数論を最初に公理化した。それは記号論理的に厳密に構成されるものであるが、あえて日常言語で表現するなら、以下のようになる。

  1. 1は自然数である
  2. aが自然数であれば、aの後続数も自然数である
  3. aとbが異なる自然数であれば、aの後続数はbの後続数と等しくない
  4. 1は、いかなる自然数の後続数でもない
  5. 1がある性質を持ち、自然数aがその性質を持てばaの後続数もその性質を持つとき、すべての自然数はその性質を持つ

 このペアノの公理系 Peano axiomsにおいて「1」、「後続数 successor」は公理系そのものでは定義していない未定義用語であり、これの解釈は意味論上の問題である。

3. 集合論

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 非ユークリッド幾何学の次に、数学界を震撼させた理論は、Georg Ferdinand Ludwig Philipp Cantorの「集合論 set theory」である。Cantorは、一定の条件を満たす対象の集まりを「集合 set」と定義した。それを構成するのが元 elementである。そして、集合の元の個数を基数 cardinal numberと呼び、集合のすべての元の間に「一対一対応 one-to-one correspondence」が成立するとき、その二つの集合は「同等 equivalent」である。

 Cantorは集合に関する多くの定理を導いたが、その中で最も驚くべきなのは、無限集合において、全体集合と部分集合の基数が同等になるというものである(これはユークリッドの第5公理に反する)。

 彼は自然数の集合の基数を「アレフゼロ aleph-zero」と名付け、また対角線論法によって、実数の基数が自然数の基数よりも大きいことを証明した。

 他にも彼は、無限に続く無限基数の存在を証明し、それらが整列するものと仮定したが、これが、Kantorの「一般連続体仮説 generalized continuum hypothesis」である。

4. 論理主義

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 1901年、イギリスの論理学者Bertrand Arthur William Russellは、Cantorの集合論において、「自分自身を要素としない集合の集合」を定義できることに気づく。このパラドックスの発見に驚愕した彼は、友人であるFriedrich Ludwig Gottlob Fregeに手紙で知らせた。Fregeの著書の最後にRussellの発見したパラドックスは書き加えられることになり、世の数学者たちの目に触れ、数学の基礎を厳密に再構成する研究「数学基礎論 foundations of mathematics」という研究分野が生まれることになった。

 Russellは数学者Alfred North Whiteheadと協力して、数学の基礎を論理主義に基いて完全にシステム化するという共同研究を初めた。その結果、述語論理の公理系から出発し、自然数論、実数論、解析学を導出する一応の成功を収めることに成功し、これらを『プリンキピア・マテマティカ Principia Mathematica』として発行する。

5. 直観主義

 オランダの数学者Luitzen Egbertus Jan Brouwerは、数学にKant哲学を持ち込んだドイツの数学者Leopold Kroneckerの影響を受けていた。彼の考えは以下の通りである。

 数学は「人間精神の産物」であり、人間精神を離れた数学は存在しない。人間精神は、限られた数学的概念に直接的な「直観」を与え、その直感が数学に確実性を与える。直観は、論理でも形式でもなく、概念を受け入れるか否かの「判断」とみなされる。

 Russellのパラドックスこそが論理主義の欠陥の権化であり、数学の基礎から「一般的な妥当性」や「存在」の概念をすべて放棄せねばならない。

 彼はこの考えに基いて、直観主義 intuitionismの数学を構成した。これは、確かに数学の基礎における根本的な問題を回避するに至るものであったが、今までの人類が築き上げた数学の叡智を一度破棄せざるをえないものでもあった(ab = 0からa = 0またはb = 0を直観主義においては直接結論付けられない)。

 この辺りの顛末に関しては、von Neumannが自らの講演「The mathematician」で述べている。以下の記事に和訳を載せているので参照してほしい。

oz4point5.hatenablog.com

6. 形式主義

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 数学が論理学から導出されるという、論理主義に嫌気がさしたドイツの数学者David Hilbertは、構文論に基づく公理系を厳密に構成し、その無矛盾性と完全性を証明できれば、公理系の基礎を確実にすることができると考えた。この場合、数学は、その公理系の意味論上の「解釈」として与えられる。これを形式主義 instrumentalismと呼ぶ。そして、多くの数学者に呼びかけ、このような公理系の厳密な構築を目指した。これがヒルベルト・プログラム Hilbert programである。

 無矛盾で完全な公理系さえ構築できれば――

 無矛盾で完全な公理系さえ構築できれば――

 数学の基礎が論理学屋に侵食されることもなく、過去の数学者の叡智を使うことができるのだ。これは全ての数学者が参加し協力するべきプログラムである。彼はそう訴えた。

 無矛盾で完全な公理系さえ構築できれば――

 無矛盾で完全な公理系さえ構築できれば――

7. 不完全性定理

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 えー、オーストリアの数学者Kurt Gödelです。皆さんに残念なお知らせがあります。

  1. 無矛盾な数学的体系には決定不可能な「ゲーデル命題」が存在する(第一不完全性定理
  2. 数学的体系の無矛盾性は、その体系内では証明不可能である(第二不完全性定理

 これらをですね、不完全性定理 Unvollständigkeitssatzと呼びたいと思います。「真理性」と「証明可能性」が違うんじゃないかな、と思って研究を続けてたんですけど、こういう結果になってしまいました。というわけで数学者の皆さんは、数学的厳密性をあまり当然の不動の前提として受け取らないようにしてくださいね、以上です。解散!

[文献]